|ヒストリー|vol.10 プロ選手を終えて、新たなステージへ
「好き」と「仕事」のはざまで見つけた、本当の価値

こんにちは、須賀亮祐です!
前回のvol.9では、クロアチアでのプロテストを通して、プロとしての自分と向き合い、サッカーの本質を改めて見つめ直したお話をしました。
今回は、プロサッカー選手という道を終え、新たな道へと踏み出した、僕の最後のヒストリーをお届けしたいと思います。
『 25歳のリミットと、プロとしての評価 』
僕は海外へ行く前に、サッカー選手として、「25歳までにトップリーグに行けなかったら、サッカー選手は諦める」と決めていました。
クロアチアでの挑戦を終え、25歳を目前に控えた僕は、サッカー選手として自分と真剣に向き合う、最後の半年間を過ごしていました。
そこで見えてきたのは、技術やフィジカルだけではない、僕自身の根本的な課題でした。
それは、自分のプレーを言葉で伝えたり、チームメイトや監督に自分の考えを理解してもらう、コミュニケーションや表現力の足りなさでした。

『 「指導者」ではなく、「クラブ起ち上げ」へ 』
ヨーロッパでの経験を通じて、僕は次第に「指導者」になることよりも、「ヨーロッパに負けないサッカークラブを日本で起ち上げる」という、漠然とした夢を抱くようになっていました。
一人の指導者として関われる子どもの数には限りがあります。より多くの人たちに僕の経験したことを伝えるにはどうしたらよいのか?
そして、これまでたくさんの人たちに支えてもらった恩を返すには、一人の指導者として活動するだけでいいのだろうか?
そんな問いが、クラブ運営を志した要因の一つです。
理想のクラブを作るには、サッカーの知識だけでは足りない。
選手として見えていなかった、もっと多くの能力が必要だと感じていました。その中でも、特に苦手意識があったのが営業でした。
だから、あえて苦手な分野に挑戦しようと、大企業で営業の道を歩むことを決めました。

『 サッカーから離れて、見えた景色 』
サッカー選手から、スーツを着て働くサラリーマンへ。
せっかく経験するなら日本有数の営業会社へと思い、運よく採用してもらえました。
慣れないことばかりで、しかも周りは超エリート集団。最初は戸惑うことの連続でした。
でも、そこで僕を待っていたのは、想像以上に大きな学びでした。
提案営業、企画、マネジメント……。
街や人々の日常を幸せにするためのビジネスモデル。
サッカーとは全く関係ない場所で、たくさんの大切な仲間や上司との出会いがありました。
一度サッカーから離れたことで、視野が広がり、以前は見えなかったものがたくさん見えるようになりました。
『 サッカーとビジネス、共通の課題 』
サッカー選手として感じていた自分の課題や壁は、ビジネスの世界でも同じでした。
自分のアイデアや想いを、どう言葉にして相手に伝えるか。
目標を達成するために、どんなアプローチで進めるべきか。
「好きなことで向き合うのか」「仕事として向き合うのか」、そして、それにいつ本気で向き合って、前に進むのか。
視点を変えると、スポーツには、その人が成長するための「チャレンジの場」という大きな価値があるのではないかと気づかされました。
勝ち負けはその過程であって、ゴールではない。
だからヨーロッパの育成は、「自律や成長すること」に重きを置いているのではないか。
そうした気づきをひとつひとつ重ねていった先で、sardanaというクラブの原型が見えてきたのです。

『 最後に 』
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
僕自身とても周りの人たちに恵まれていて、たくさん支えてもらい、今があると思っています。
全ては書ききれないですが、このブログが、子どもたちの変化を一緒に見守るヒントになってくれたら嬉しいです。
子どもたちや皆さんも、日々さまざまな経験をされていると思いますので、よかったら「いいね」ボタンをお願いします!
それでは次回もお楽しみに。
