|ヒストリー|vol.7 縁がつないでくれた、初めてのチャンス。
クロアチア挑戦、そのきっかけと旅立ち

こんにちは、須賀亮祐です!
前回のvol.6では、多国籍なチームでの経験や、強化選手として1軍に加わった話、そして次なる挑戦となる“クロアチア”への伏線についてお話しました。
今回はその続き。
僕がどんな経緯でクロアチア1部リーグのテストを受けることになったのか、そして“ご縁”がつないでくれた大切な物語をお届けします。
オランダで支えてくれた「博多せん八」
オランダでの挑戦生活の中、僕が頻繁に通っていたのが、日本食居酒屋の「博多せん八」。
初めての海外生活、うまくいかないことも多かった時期、このお店は僕にとって“心の拠り所”でした。
当時のオランダは格闘技王国でもあり、せん八にはK-1ファイターなど、格闘技関係者もよく集まっていました。
その中で、オーナーさんからふといただいた一言――
「クロアチアのサッカーにつながるかもしれないよ。」

そこから話が動き出し、K-1初代チャンピオンでありクロアチアの英雄とも呼ばれた方の紹介で、クロアチア1部リーグのチームでテストを受けられることになったのです。
人との“縁”がつないだチャンス
オランダに渡って2年。ようやく巡ってきた、大きなチャンス。
この出来事は、自分の努力だけでなく、“人との縁”があってこそ生まれたものでした。
そして改めて、出会いを大切にすること、信頼を築くことの意味を実感しました。
緊張よりも、好奇心
初の海外テスト、しかもクロアチア1部。
プレッシャーがなかったといえば嘘になりますが、それ以上に僕の心を動かしていたのは“好奇心”でした。
「どんなサッカーをしているんだろう?」
「どんな人たちと出会えるんだろう?」
「この国では、サッカーはどんな意味を持っているんだろう?」
自分のサッカーが、まったく違う文化の中でどう映るのか。
それを試すのが、純粋に楽しみでした。

戦争の爪痕が残る国で
当時のクロアチアは、戦争が終わってまだ間もない時期でした。
街を歩くと、壁には銃痕が残り、崩れた建物もちらほら見えました。
何より衝撃的だったのは、手や足を失った子どもたちが、道ばたに立ち、缶を持って「お金をください」と訴えかけてきた光景。
僕がクロアチアに到着して、カフェの並ぶ通りを歩いたときのこと。
アジア人が珍しかったこともあるのか、僕が入った瞬間、それまで談笑していたカフェの人たちの会話がぴたりと止まり、一斉に視線が集まりました。
「戦争の傷は、街だけでなく、人々の心にも深く残っているのかもしれない。」
そんな空気を肌で感じながら、「自分は今、どんな場所に来たんだろう」と、静かに覚悟を決めたのを覚えています。
せん八の皆さんに感謝を込めて
ちなみに――
オランダで支えてくれた「博多せん八」のスタッフの皆さんは、現在は日本に帰国され、福岡空港近くに【レストラン Folivora】をオープンされています。
当時と変わらず、温かくて優しい方々ばかり。美味しいご飯と、心あたたまる空間がそこにあります。お近くの方は、ぜひ足を運んでみてくださいね!
次回予告
次回は、クロアチアのチームでのテストの様子、サッカーを通じて出会った仲間たちとのやり取り、そして、そこで得た“人生観の変化”についてお話します。
最後に
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
僕自身とても周りの人たちに恵まれていて、たくさん支えてもらい、今があると思っています。
全ては書ききれないですが、このブログが、子どもたちの変化を一緒に見守るヒントになってくれたら嬉しいです。
子どもたちや皆さんも、日々さまざまな経験をされていると思いますので、よかったら、「いいね」ボタンをお願いします!
それでは次回もお楽しみに。
