|ヒストリー|vol.5 「教えないで教える」
オランダで気づいた育成の本質

こんにちは、須賀亮祐です!
前回のvol.4では、オランダでの生活や出会い、そしてサッカーがつないでくれた“ご縁”についてお話しました。
今回はその続き。
契約後のクラブ生活、そして現地で体感した“育成”について、当時の衝撃とともに振り返ってみたいと思います。
「え、シーズン前合宿が野宿!?」
オランダでのクラブ生活が始まり、まず衝撃を受けたのが、シーズン前合宿でした。
バスに揺られて辿り着いたのは…まさかの農場。

選手たちはエアーベッドや寝袋を持参していて、「今日はここで軽くトレーニングして、BBQして野宿!」と監督。しかも「明日朝9時から試合な!」と笑顔で言われたときの驚きは、今でも忘れられません。
朝集合した時に「みんなヤケに大荷物だなー」と感じた答えがやっとわかりました。当然僕は手ぶらで、ダンボールもらって寝床を確保。
軽めに練習して、みんなでプールに行って遊んで、BBQして、監督が寝たら「おい、クラブ行くぞ!」って…そのまま朝までクラブで踊って、翌朝にはケロッとプレーしてる。
「これがオランダのチームづくりなのか…」って、文化の違いにただただ驚きました。
「パスをもらえない」から始まった僕の挑戦
僕の最初の所属は3軍。試合に出てもパスがまわってこない。言葉も通じないし、プレーでも信頼されていない。
「技術では負けてないのに、なんでなんだ?!」
初めは理解できませんでしたが、少しずつ言葉がわかるのと並行して、答えがわかってきました。それはオランダでは、サッカーの“原理原則”を理解していないと、誰も信頼してくれない。
判断・ポジショニング・優先順位。技術の前にサッカーの理解度。実行力。
そして“理解して動ける選手”が評価される。そんな文化があったんです。
悔しくて、毎日のようにノートに学びを書いてました。

「教えないで、気づかせる」
ある日、トップチームのトレーニングを見学する機会がありました。言葉は全くわからないのに、不思議と“今日の練習のテーマ”が伝わってくる。ウォーミングアップからメニューがつながっていて、「あ、今日って“切り替え”だな」って自然にわかる。
「言葉じゃなくて、メニューで伝える」
「選手が自分で気づく設計になってる」
この時、「教えないで教える」というスタイルに初めて触れました。
「育成クラブ」という考え方
僕がいたクラブは、かつて1部リーグやチャンピオンズリーグに出場していた歴史あるクラブ。
でもスポンサーの倒産で下位リーグに落ち、今は“育成クラブ”としてトップリーグの選手や年代別オランダ代表も毎年輩出する、存在価値を築いていました。それでも、地域の人たちの応援は変わらず、毎週子どもからおじいちゃんまでスタジアムに来てくれる。
試合後にはバーで選手もファンも一緒に語り合う。
おじいちゃんと孫が、同じ目線で歓喜する。
“プロ”とは? “文化”とは?
おじいちゃんと孫が同じ目線で興奮し、歓喜する。
「スポーツが文化にになった状態とは?」そんな問いの答えが、ここにはありました。
娯楽の数や国の制度設計の違いはあれど、クラブの存在価値についてや日本に育成クラブと呼ばれるクラブがあるのか、考え始めたのもこの頃からでした。
育成の現場に立つ
1年目のシーズンが終わり、僕は育成年代のアシスタントコーチとして指導に関わることになりました。
そこでは、「テクニック」よりも「姿勢」と「原理原則」。
「選手として、人としてどうあるべきか」が常に問われていた。
コーチたちが子どもに伝えるのは、答えではなく「問い」。
「どう思った?」「次はどうする?」という声かけがベースでした。

育てると言うよりはむしろ、育てる必要がない選手を育てる。
「なるほど、こうやって“考える選手”が育つんだな」と毎日が学びでした。
最後に
振り返れば、あのクラブで過ごした日々が、今の僕の育成観や指導スタイルの原点になっています。
「選手育成の前に人の育成」
「チームづくりの前に仲間づくり」
「正解を教える」のではなく、「自分で考え、判断し、選択できる力」を育むこと。それが僕にとっての“育成”であり、今sardanaで大切にしていることでもあります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
もしこのブログが、皆さんの子どもたちとの関わり方や、育てたい力を見つめ直すきっかけになっていたら嬉しいです!
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次回をお楽しみに。
