|ヒストリー|vol.2
『無理だ』と言われても、ただ“考えるサッカー”がしたかった
高校生がオランダを目指した、そのリアル

こんにちは、代表の須賀です!
前回のvol.1では、僕がサッカーと出会い、「自分で考えることが楽しい」と気づいた原点についてお話ししました。
今回はその続き。僕が高校3年の夏に、オランダへ行くことを決めた話です。
もしかすると、「大きな決断」「覚悟ある行動」みたいに思われるかもしれませんが、僕にとっては、すごくシンプルな想いでした。
もっと色々なサッカーを知りたい。もっと自由にサッカーをしたい。頭を使って、自分で考えて、仲間と創るサッカーがしたい。それが叶う場所が、オランダだと思った。とても単純な気持ちでした。

高校3年生の進路変更
当時はすでに、NTT(現・大宮アルディージャ)への就職内定が決まっていましたが、心は決まっていたので、監督やコーチに「就職は辞めてオランダに行きます」と伝えました。
返ってきたのは、「お前じゃ無理だよ」という、はっきりした言葉。
でも不思議と、落ち込むことはありませんでした。それよりも「オランダに行くには何をすればいいんだろう?」と頭がそっちに切り替わっていたんだと思います。
後日、卒業式の日。
母からこっそり教えてもらったのは、コーチからのこんな言葉でした。
「もし親が全部出して“留学”させるなら、厳しいと思って伝えました。でも、自分で働いてお金をめて行くなら、たとえ契約できなくても、絶対プラスになる。だから応援してます。」
この言葉を母から聞いたのは、オランダで契約が決まってから。今でも忘れられない、あたたかい後押しです。

オランダに行くための準備期間
卒業してからは、ひたすら
バイト → トレーニング → 指導 → バイト → トレーニング… の毎日。
小学生の時にお世話になっていたクラブで、小学生たちにサッカーを教える機会があり、この頃から「指導って楽しいな」と感じ始めていました。
今思えば、sardanaの原点はこの頃にあったのかもしれません。
そしてここからが、”本当の意味でゼロからのスタート”でした。
当時は、海外に行く選手なんて周りにほとんどいなかったし、インターネットも今のように普及していなかった時代。何をすればいいかわからない中で、とにかく動いてみようと思いました。親にもアドバイスをもらい、まずはオランダ大使館に直接訪問。
受付で「オランダでサッカーするための情報が欲しい」と何回も通って直談判しても中には入れてもらえず、しかたないから大使館へFAXで手紙を何枚も送り続けたり…。今思えば、無茶ですね(笑)
それでも、何度目かの訪問で受付の方が
「また来たの??」
「日本でオランダのサッカー情報を発信している会社があるよ」
「本当はダメなんだけどね」と、連絡先をこっそり手渡してくれました。
その会社にまたFAXで手紙を何枚も送りました。
「君、面白いね」と担当者が言ってくれて、直接会うことに。今でもその人とはつながっていて、笑い話になってます(笑)
オランダへ
その人が監督をしていた神奈川県1部リーグの社会人クラブでプレーを見てもらい、オランダ1部リーグのテストを受けるチャンスをもらえることに。
正直、すごい覚悟があったというより、ただ、「もっと色々なサッカーを体験したい」「自由に考えるサッカーがしたい」という一心だけ。
そして、親や周りの人達にとても恵まれていて、運も味方してオランダとやっとの思いでつながりました。それが、僕の海外挑戦の始まりです。

次回は、いよいよオランダへ。
現地でのテスト(いきなりトップリーグのトライアル)、3部リーグでの契約、そしてそこから見えた”育成の本質”についてお話しします!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
僕自身とても周りの人たちに恵まれていて、たくさん支えてもらい、今があります。
全ては書ききれないですが、このブログが、子どもたちの変化を一緒に見守るヒントになってくれたら嬉しいです!
子どもたちや皆さんも、日々さまざまな経験をされていると思います。
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それでは次回のブログもお楽しみに。
